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炎帝神農

中国太古(約七千年前新石器時代)の伝統的な帝王。三皇の一人で炎帝と呼ばれ伏義、黄帝の間に入る帝王として歴史化された。母の女登は神竜に感じて彼を生み人身にして牛首で身の丈八尺七寸、ヒゲを長く伸ばし木の葉で作った衣をつけ、右手には赤い杖を持つ。神竜に稲を授かる。天空より五穀の種が舞い降りてきて(一羽の真紅の島が稲穂をくわえて飛来)それを炎帝神農が播くとやがて黄金色に輝く実が実った。そうして稲作が始まり、炎帝神農は人々に農耕を教え、定着農業の始まりとなる。同時に炎帝神農は農業の神であると共に医業の神でもあった。炎帝神農が有していた神鞭(赤い杖)で種々の植物を打つとたちどころに毒の有無、薬効の性質をあらわしたという。また炎帝神農は自ら各種各様の植物を口に入れてしらべ、一日に七十回も毒に当たりながら多くの薬草を発見した。ある時毒にあたり木の下にいたところ、一片の葉がひらひらと落ちて来てそれを飲んだら毒が消えた。それが茶葉であった。これが有名な神農鞭薬と神農嘗薬伝説である。山西省大原の神釜岡には炎帝神農が嘗薬の際に使用したといわれる三脚の鼎鉄窯が残っており、また成陽山には炎帝神農が神鞭を振った所を探しだすことが出来る。そして今ではこの山を神農ヶ原、薬草山と呼んでいる。また病人があると聞くと千里の道を遠しとせず、どこまでも出向いて治療した。炎帝神農の頭の小さな角はその一生を通じて耕牛のように一所懸命人々の病苦を救うために尽くしたということからといわれている。死の恐怖から救われた人々は炎帝神農の死後、その功績をたたえて薬王菩薩とあがめ各地に祠を建て記念した。炎帝神農は農業と医業の祖神として日本では東京湯島聖堂、大阪道修町にある少彦名神社に祀られ、毎年十一月二十三日に神農祭を催し、無病息災を祈願している。

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炎帝神農

李白

中国唐の詩人杜甫とあわせて(李杜)と並称される。誕生のとき母がふところに太白星(宵の明星)の入った夢を見たところから、字を太白とつけた(李太白)。成長すると岷山(四川省)にこもって暮らした。二十五歳のころから各地を遍歴して歩き、一時山東省の任城にとどまり、五人の道士と徂徠山に住んで、竹渓の六逸といわれた。その後江南に遊んで道士呉筠と知り合い、共に長安にのぼった。長安では、賀知章の知遇を得た。彼は李白の詩に驚嘆して、謫仙 (天上から流刑された仙人)だと言った。
賀知章の推挙で玄宗に召し出されるが、酒を好み気ままにふるまったため、側近にきらわれ三年で長安を去り再び各地を放浪し、その間杜甫や高適などの詩人と知り合う。李白は、生来放逸を愛して束縛をきらい、儒家の思想よりも老荘に親しんで多くの道士を友とした。

李白自然への憧憬(月下独酌とうたう)

花間一壺の酒
独り酌みて相親しむもの無し
杯を挙げて明月を邀え
影に対して三人と成る

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李白